ここは三重県志摩市の東南側海岸近くの町でして、
住宅等がかなり密集する中に「志島古墳群」が分布しています。。
志摩市は北隣の鳥羽市と合わせて旧志摩国であった地域ですが(それより南の方や三河湾の島々もこれに含まれるという話もある)、その中で最も古い古墳が志島古墳群中の「おじょか古墳(志島11号墳)」です(北東沿岸の大吉北古墳もほぼ同年代)。。
それは5世紀後半という年代であり、
伊勢神宮周辺の古墳よりはちょっとだけ早い時期です。。
ただし、同市内で志島古墳群よりもだいぶ西側の浜島町や、それよりもだいぶ南(同市外)の大紀町などで、おじょか古墳に先行する可能性がある古墳が確認されていますが、詳細は明らかになってはいません。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
おじょか古墳と志島古墳群の現況
さて、冒頭写真は「おじょか古墳」への案内表示がある「海蔵寺」という寺院の前でして、案内表示に従いその路地を進めば、数十m先左側に「おじょか古墳」が在ります。。
ちなみに、
この周辺一帯に駐車場は無く、道も細いので短時間の路肩停止も難しいです・・・
ですので、
ここから約1km離れた市後浜駐車場を利用するか(有料)、近辺の駐車場が在る施設にお願いするか(これも有料になる可能性もあり)、という方法しかありません・・・
とにかく、
車でやたらと路地に入り込みますと、抜け出すのがかなり困難になる場合が多いエリアですので、もし行かれるさいはお気をつけくださいませ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
おじょか古墳
アクセスに関する前置きが長くなりましたが、
現地へと参りましょう
あの案内表示から50mほど東へと進み、
左側に少しそれますと下の写真に見える小さな丘が在ります。。
ですが、
本州の横穴式石室を見慣れた目にはとても変わった形に見えます。。
{九州北部では、5世紀前半にすでに横穴式石室が出現している}
この石室は羨道に該当する部分は無く、前庭部と玄室とに分かれています。。
では、玄室を覗いてみましょう。。
といってもあまり良い写真は撮れませんでしたが
まぁ、石室前から移動して、
それにしても、
この古墳よく残ったな、と感心しました
おじょか古墳の詳細ですが、
墳形・規模は不明。埴製枕は類例が少なく、当古墳出土のものは装飾性が強い。遺物は九州に偏って出土するものが多く、中には当古墳と熊本県のマロ塚古墳でしか出土していない鉾などもある。遺物に玉類の数が多く(1380点)、三重県では2番目の量である。
おじょか古墳については以上です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
志島古墳群・他
おじょか古墳からあの道を東へ1km弱(800mくらい?)進みますと(道なりに)、突き当り手前の両側に森が見えます。。
松本塚古墳は下の写真の丘の上ですが(現況不明)、
その詳細は後期古墳ということ以外には不明です。
上村古墳は、
石室は半壊状態で残されているという情報もあるのですが、どうもここも私有地っぽく、つぶさに観察できるような雰囲気ではありませんでした
この古墳は6世紀後半に造られた前方後円墳でして、
規模は分かりませんが大型ではないことは確かです。。
さらに東の海岸崖っぷちに「塚穴古墳」という大きな横穴式石室を有する古墳があるらしいのですが、そこへ至る道が全く分からず、見学は断念いたしました
志島古墳群では総数13基が確認されていますが、
おじょか古墳以外は全て後期古墳であり、詳細が分かる古墳は限られています。
また、志島から南に1km強(直線で)離れた「畔名地区」の古墳と合わせて一つの群と解釈する考え方もあり、その地区に造られた「泊古墳(全長約30mの前方後円墳)」はおじょか古墳に後続する古墳と推定されています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
伊勢別宮との関係は?
ついでに、志摩といえば伊勢神宮別宮「伊雑宮」を思い浮かべますよね。
そして、その奉斎氏族の古墳も近くにあるのではないか?なんてことも気になりますよね。。
それは、
伊雑宮の南側の野川対岸に「下之郷古墳群」が在り、位置的に考えてそれらが該当するのではないかと私は推測したします(墳形など明らかではないが、全て小規模古墳)。
だとすれば、
この古墳群は全て後期古墳ですから、伊雑宮の創建もそこから大きくは離れない時期と考えてよいのではないかと思います。志摩全体を見ても5世紀後半より前の古墳は在りませんからね。。
伊勢神宮界隈も中期まで遡る古墳は殆どありませんし(それ以前の大きな集落もない)
いずれにしても、
志摩国内に大型古墳はなく、大首長の存在というものは想定し難いのですが、最古の古墳が九州の影響が強いものであるという点が興味深いですね。。
また、
三河方面との交流が盛んであった痕跡もあるのですが、これは地理的に見て不思議な内容ではありません。
ただ、その方面と九州との交流の中継地として、志摩という土地は重要な役割を果たしていたのであろうと思われます。。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
<参考>
・現地説明板
・おじょか古墳発掘調査報告(2016年/志摩市教育委員会)
・フォーラムⅣ「志摩の海辺に築かれし古墳」(志摩市教育委員会)
・その他、本文中に記載またはリンク
以上、三重県志摩市、
おじょか古墳と志島古墳群でした
*当記事に掲載の写真は、
2023年6月初旬に撮影したものです。
{カテゴリーTOP}
コメント