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もう半年以上前、
2022年11月中旬、山梨県富士吉田市の「北口本宮富士浅間神社」に参拝
冒頭の写真は国道138号線沿いの鳥居。
後ろを向けば、御師まちといわれる吉田の町並み。。
吉田の町並みに背を向けて、
鳥居をくぐって参道を歩きます
かみさんまた先行っちゃいました
この先、位置については下の境内図をご参照くださいませ。。
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参道
参道脇には色々と興味深いものが点在します。。
参道を挟む社叢も見事
鳥居の方を振り返ると、
朱塗りの大鳥居手前で川を渡り、
かみさんがちっちゃく見えます
ていうか、
何をじっと見てるんでしょうね
大鳥居をくぐって左には八幡社、、
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本境内
随身門をくぐったら右に授与所で、
その奥に諏訪社(諏訪社は後で)。。
左には手水舎。。
さて、
神楽殿の脇を通り、拝殿へ。。
そうそう、拝殿前には、
太郎杉と、
では、拝殿に参拝して
神社のような寺のような・・・
神仏習合の名残と解釈しておきましょうか
手抜きのようで申し訳ありませんが、
由緒等は下の説明板を拡大してご覧になってくださいませ
景行天皇40年に日本武尊によって鳥居が建てられ、
景行天皇50年には祠を建てて浅間大神と日本武尊をお祀りし、
当社は創建された、とも伝わります。
ちなみに、
ここは全国にある浅間神社の総本山というわけではありません。
富士山の北側の登り口に鎮座するゆえに、北口本宮と称されています。
その他詳しい内容は神社HPをご参照くださいませ。。
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拝殿より奥
拝殿に向かって右側(西)には、小祠が並びます。。
現在の本殿は??いまいち分からん
そういえば、
東宮とその隣の神武天皇社は見忘れました
と、、それよりも、西宮前から本殿の方を見れば、
本殿の背後にさらに本殿風社殿。
境内図を見直してみれば、
本殿の背後に続く社殿は「恵比寿社」。。
この配置って??
う~ん・・・
ややこしいので考えるの止めましょう
ところで、西宮の先にも鳥居があります。。
鳥居の先には祖霊社が祀られています。。
祖霊社の先には、
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諏訪神社
神楽殿の位置まで戻りまして、入口の方に向かって左(西)を見れば、
高天原と名付けられた結界(?)。
その奥に見えるのが、
高天原の奥に諏訪神社?
なんとなく意味ありげな配置
上の写真で中央に諏訪拝殿、
その左に風神社と他2社、諏訪拝殿右側には下諏訪社と子安社。。
拝殿前には鳥居のように立つ2本の杉大木があり、
拝殿内両脇に神輿が飾られています。。
拝殿にて参拝し、その奥のご本殿を拝見。。
脇からもご本殿を拝見。。
ところで、北口本宮浅間神社の祭事として、
古くから日本三奇祭の一つといわれる「吉田の火祭り」があります。
この祭りは北口本宮浅間神社と摂社諏訪神社と両社の祭りとなっていますが、
元は諏訪神社の例祭であったようです。
~以下、北口本宮浅間神社HPを参考に~
この地に鎮座する諏訪神社は、元は北口本宮浅間神社の摂社ではなく、
浅間神社の勢力が増していく段階で摂社として取り込まれていったそうです。
それでもこの地域では、
地主神はお諏訪様、火祭りは諏訪さんの祭り、という認識が根強いそうです。
伝承によれば、
諏訪の神様が追われて逃げていたある夜、当地住民が手に松明を持ってお迎えしたのを、
追手は援軍と見間違えて退却したので、諏訪の神様は当地にしばらく滞在なさった。
それでこの地を「諏訪の森」と呼び、地主神として諏訪神社を祀った、とされています。
その故事を忘れないようにという想いが火祭りの起源ともいわれているようです。
また、諏訪と吉田は方言が似ており、
深い関わりがあるとも推測されているようです。
以上。。
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境内を後に
さて、授与所をのぞいて、
難しい歴史の話はともかく、
富士山麓で泊まったついでに立ち寄ったこの神社参拝は、
かみさんが結構楽しそうで夫婦揃って良い思い出となりました
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以上、
山梨県富士吉田市の北口本宮富士浅間神社でした
*当記事に掲載の写真は、
2022年11月中旬に撮影したものです。
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