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 長野県上田市、
信州の鎌倉と称される塩田平を見渡せる高台に、一基の後期円墳が佇みます。。
皇子塚古墳」といいます。
名称は大きいが墳丘は小さいそこがこの古墳の愛嬌
 冒頭の写真はその古墳への入口付近。
背後には独特な山容が印象的な独鈷山。。

 下の写真は、
古墳へ至る歩道上から見る塩田平と上田市を囲む山並み
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 独鈷山に近づく様に歩道を進む。。
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 やがて歩道の先に説明板が見え、
その隣に藪に覆われた墳丘らしき高まりが見えます。。
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 はい、
皇子塚古墳」に到着です。。
 歩道入口から2分ほどの、
風光明媚な散歩道です。。

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 古墳の姿

 墳丘はごく一般的な円墳で、規模も大きくはありません。
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 ですが、
その位置(後述)と周囲の景観は特筆に値します。。
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 主体部をご覧になってくださいませ。。
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 羨道部は最下部より上は失われているようです。
ですから、現在の入口は玄門付近かな。。

 それにしてもこの石組、
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かなり雑に見えますが、、
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崩れないようにしっかりと造られているんですね
側壁は緩い持ち送り、といってよいのかどうか??

 天井の巨岩もしっかりと支えられています。。
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形としては北信で前期から見られる割石(または平石)の小口積なのかな。。

 古墳の姿は以上となります。。

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 古墳の詳細
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 以下、皇子塚古墳の詳細を簡単にまとめます。。

墳形と規模:径約14.8m・高さ3.3mの円墳。
年代:7世紀末(後の追葬有り)。
構造:墳丘は盛土による。葺石は墳裾など一部にのみ認められる。
周溝らしき痕跡もあるが、明確にそれであることは確認されていない。
主体部:全長6.1mの無袖形横穴式石室。南西に開口。
玄室全長4m。奥壁幅2.02m、同高さ2.08m。玄門幅1.48m、同高さ1.72m。
羨道部全長2.1m。羨門幅1.48、同高さ不明。前庭部はSW34°にラッパ状に開口。
 石積みは、面のある自然石を乱積み状に小口積みにして構築。
玄室部では5°、羨道部玄門寄りで12°の勾配をもって、天井に向かって縮約している。
 床の敷石は、比較的平らな自然石用いているが、
盗掘等により殆どが失われている。
 天井石は、玄室部に大きな平石3枚をのせて構築。
羨道部の天井石は、側壁と共に失われている。
遺物:瑪瑙製勾玉2点、碧玉製管玉2点、金環2個、鉄製直刀1点、鉄鏃破片数点、轡1点、
須恵器・土師器など多数(完形・破片)、墨書石器(縄文期の石皿破片を利用)。
遺物2(被葬に直接関わらないと思われる物):施釉陶器、内耳土器、
弥生式土器(箱清水式)、古銭。
遺物に関する見解:内耳土器は、中世に石室が、
住居として利用された痕跡と推察されている(近隣で類例がいくつか確認されている)。
 古銭は殆どが質の悪い私鋳銭であり、寛永通宝と供出していることから、
江戸期にここで博打を行ったという伝承を裏書するものと推察されている。
 弥生土器は、混在か?
周辺の古墳等:至近距離において古墳は多くは無い。
 東北に直線距離にして1km弱の地点に、塩田平で最も古いと考えられる、
「王子塚古墳(5世紀後半~6世紀前半、帆立貝形)」が在る。
名称由来:藤原仲麻呂の乱に登場する「塩焼王(天武天皇の孫)」か
その孫が葬られたと伝わり、それが名称由来とも考えられる。
 実際のところ、その伝承と古墳の年代は合致しない。

 以上、皇子塚古墳の詳細でした。。


<参考>
・皇子塚古墳発掘調査報告書(上田市教育委員会)
・上田市の文化財(上田市マルチメディア情報センター)
・その他

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 その位置が語るものは・・・

 墳丘の規模も石室も、特に目立った内容は見当たらないこの古墳。
しかし、塩田平を見渡せる高台に単独で存在する姿には、
何か特別なものを感じさせます。。


 この古墳の位置について、
遊び心で方位を調べて驚きました
それを以下の図でご確認くださいませ。。
塩田
 皇子塚古墳から見る冬至・夏至の日の出向き。
夏至の日の出方向は東山に突き当たり、その線のやや北側に「王子塚古墳」、
やや南側に「生島足島神社」。
そして、冬至の日の出向きは「塩野神社」に当たります。
 偶然とは思えないこの配置・・・
この小古墳の主はいったい何者なのか??


 東山山麓には「下之郷古墳群」が在り、
約80基の古墳が確認されています。

 王子塚古墳は塩田平で最初に造られた古墳であり(5世紀後半~6世紀前半)、
全長50.8mの帆立貝形古墳です。
 王子塚古墳から見る夏至の日の出は、
皇子塚古墳とほぼ同じです。
 ついでに申しますと、
王子塚古墳は独鈷山の真北の位置に所在します。

 
 王子塚古墳以降、
何かが継続されて皇子塚古墳に至っている。
 それをどのように説明すればよいのか・・・


 ただ、
薄ぼんやりと見えたことがあります。
 塩田の古墳や神社は、
おそらくは金刺氏に関連したものであるだろうということ。
 であるならば、
生島足島神社の伝承(諏訪明神が諏訪入り前に滞在した)も、
やはり金刺氏系列の一族の動きを神格化したものであろうということ。


 さらにいうならば、
上田地区で諏訪氏に直接関係する古墳等は、
千曲川の北側に分布するものだろうと私は思います。。
塩田は千曲川の南側


 そういえば、諏訪の上社も、
フネ古墳という小さな古墳から見る冬至の日の出線上に鎮座している・・・

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 以上、
長野県上田市の皇子塚古墳でした。。


*当記事に掲載の写真は、
2021年11月に撮影したものです。。